蠅除(明治17年7月2日)

2009年10月30日
蠅は伝染病等の媒介をなすものにして蚤、虱、蚊よりも忌はしく欧氏が惜みしも左ある事にして衛生家は最も嫌ふものなり夏気之を防ぎ之を打ち殺すは常なるが蠅を遠ざくるには「オニオン」(玉葱)の煮汁を諸器へ塗り又蠅の集る所へ器に入れて出し置けば其近くへ寄ぬものなりと聞けり

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米ヶ袋(明治17年7月2日)

2009年10月30日
と云えば仙台区内には相違なけれど南果なる片遠所とて従前より一風変れるやうに覚え居しが同町内には一の慣習かりて何にもせよ珍らしき物は分配する事にし一椀の物と雖もいききが惜まざるより交際上殊に厚く尤も金銭の貸借の如きも更に不自由なき故貧困者抔の実に住よき所にて今日に至るも其慣習を固守し人の物は我物我の物は人の物と些とも隔つる心なきより却て親睦し居ると云ふこれ米ヶ袋の名ある故にやあらん

〈訳〉
(米ヶ袋)といえば、仙台区内ではあるが、南の果ての僻地である。

昔から、ちょっと変わっているようにも思えるが、同町内には一つの習慣があり、なんでも珍しいものは皆で分けることにしているという。
一椀のものといえども、近所でやりとりを惜しまないので近所づきあいは厚い。
金銭の貸借なども不自由がないというので、貧しい者などにとっても実に住みよいところである。

今日に至ってもこの慣習を守り、「人の物は我の物、我の物は人の物」とちっともヘだてる気持ちがないので近所は皆親睦しているという。
これは米ヶ袋という地名の訳なのであろうか。

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世界の人口(明治17年7月2日)

2009年10月30日
全世界の人口は
欧羅巴州三億一千五百九十二万九千人、
亜細亜州八億三千四百七十万七千人、
阿弗利加州二億五百六十七万九千人、
大洋州ポリネジ四十三万千人、
両極地方二万二千人、
総計十四億五千九十二万三千人にて先年調査せし時より増加すると凡一千六百七十七万八千人なり

又欧州列国の人口は
日耳曼四千三百九十万二千人(一千八百七十七年調査)、
墺太利及ひ葡萄牙三千八百万人(同七十九年調査)
英吉利及愛蘭三千四百五十万人(同上)
仏蘭西三千六百九十万人(同七十六年調査)
欧羅巴土耳古八百八十六万人、
露西亜八千七百九十万人にて
亜細亜州中住民の数支那の右に出づるものなし
支那の人口は四億八十一万四千人にして香港の住民は十三万人有
日本の人口は一千八百七十八年其政府の調査に四千万人ありと掲げたるをみたり果して然るや
印度に於て英国所属地の住民は二億四千二十万人
仏国所属地二十八万人
交趾支那百六十万人
印度支那三千六百万人
東印度諸島三千四百八十万人
大洋州諸島八十七万八千人なりしと日耳曼の新聞紙にみえたり

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肉類営業人(明治17年7月1日)

2009年10月30日
当区には肉類の営業人都合四十五名ありと云ふ其数の調をいかに間違ひたるものにや草餅屋が四十五軒夫は何れの何屋と何亭か抔余計な事に気を揉む血気の男多しとコハ肉何とやらいふ事より取違ひなるべけれといへど草餅とは何の事やら兎に角前の四十五軒は牛肉鶏肉の類を商ふ家をさせしなり


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蘇生物語(明治17年7月1日)

2009年10月30日
岩手県下気仙郡唐丹村字花露邊てふ里に鳥居六松と云へる漁師住おり一人の老母ありて名を富と呼べり今年九十二歳世に稀なる長命の人なるが去る六月初旬の事かとよ其日も暮れて十時過ぎ老母は早く寝に就しが暫らくありて孫留松例の如く枕邊近く打臥けるに呼吸の音なきを怪しみ火を点して見るに全く息の絶に居しかば留松は驚き斯くと知らせるや忍地一家の騒ぎとなり母上と呼ぶあれば祖母さまと叫ぶあり空に知られぬ泪の雨晴るる隙とて見えざりしがさてあるべきにあらざれば翌日埋葬の式を行なはんとて近親の人々へも其旨を伝え既に入棺をなし香華供物を備ひ家内は更なり近親知己導師の僧の来るまでと各々円座の念仏会折柄棺中に声ありて呼恐や苦しやと云うは正しく幽霊と寄居し人々我先と外の方授て逃出せし六松は母の事若しやと思えば些とも騒ず棺の側に寄り蓋取り退れば死したる母は四方眺めて六松かと云うは正しく甦りしかと嬉しき儘に棺より出し更に座敷に臥さしめたるに常に変りし事とてなく孫嫁が空腹ならんと大椀に盛て出せし飯を三杯まで食し死したる時の話などしたり采り其甦へりしを祝宴にせん六松は初七日の法事にかえ尚ほ長寿を賀す為に一大祝宴を開きしとは又目出度かるはなしにこそ


〈訳〉
岩手県下気仙郡唐丹村字花露邊という里に、鳥居六松という漁師が住んでおり、富という一人の老母がいて、この富は今年九十二歳の世にもまれな長命のひとであった。

去る六月初旬のこと。その日も暮れて十時過ぎ、富は早々に就寝した。
しばらくして孫の留松がいつものようにその枕のあたりに寝たところ、祖母から呼吸の音がしないことを変に思い、灯りをつけると全く息が絶えていたため、留松は驚き、人に知らせると、大騒ぎになった。「母上!」と呼ぶものもあれば「お祖母様!」と叫ぶものもあるという悲しいことになった。

翌日、葬式を行うことになり、親戚にその旨を伝え、遺体を棺に入れた。香華供物をそなえ、家族から親戚、知人、僧侶の来るまでと、家族は円座になって念仏をとなえていたところ、棺の中から「こわいよー、苦しいよー」という声がしたため、これは幽霊ではないかとその場にいた人々は我先にとその場から逃げ出した。

しかし、六松は、母のこと、もしや、と思い落ち着いて棺のそばに近付き、蓋をとると、死んだはずの母が四方を眺めて、「六松か?」というので、これはまさしくよみがえったのだと、喜びのままに棺からその体を出し、座敷に寝かせたが、いつもと変わりのない様子であり、孫や嫁がおなかがすいているでしょうと大椀に盛った飯を三杯も食べ、死んだときの様子などを話したという。

このよみがえりを祝おうと、六松は初七日の法事のかわりにさらなる長寿を祝うため、一大宴会を開いたとのこと。めでたい話である。


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大鱒(明治19年6月17日)

2009年10月09日
名取郡大野田村の某が名取川にて漁れる鱒は丈五尺余巾一尺五六寸の者にて実に是まで見たる事なき程の大物なりしが三圓五十銭の上直に売却せしと云ふ


〈訳〉
名取郡大野田村の某が名取川で獲った鱒(ます)は、丈五尺余(約1.7メートル)、巾一尺五寸(約40センチ)のもので、実に見事でこれまでに見たことのない大物であったが、三円五十銭ですぐに売却されたという。


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懐中日時計(明治19年6月17日)

2009年10月09日
公園の時計師並木時得は今度懐中日時計を発明せしに付き官許を得次第頻で売出す手筈なりと



〈解説〉
懐中日時計
時得という名前が本名なのか、気になるところです。
時計師で時得なんて、出来すぎ。


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